従軍慰安婦記事 記事の捏造のみならず記者も捏造

概要

朝日新聞社による従軍慰安婦捏造記事、吉田調書捏造記事により多くの国民が朝日新聞社に対して辟易としている中、さらなる捏造が発覚した。

1982年9月2日付けの記事を執筆したとしていた記者が、実は別の記者が書いたものであったというのだ。

元記者の証言も嘘

元記者は従軍慰安婦について「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話しているが、講演当日日本にいないかったことが判明したそうだ。

つまり講演を聞いていないわけで証言が嘘であったということだ。

じゃあ、本当の記者は何をもって記事を書いたのか。

はやく調査結果を発表してほしいものだ。

朝日新聞社はバレないと思っていたようだが、渡航歴を調べられたらバレてしまうのであわてて訂正した、というところか。

1つ嘘をつけばその嘘を守る為別な嘘をつく。

そして嘘だらけとなり、どうしようもなくなる。

朝日新聞社の信頼

時の経過とともに朝日新聞社の信頼が失われていく。

報道機関として信じられない行為が次々に出てくる。

記事は捏造、記者も捏造であり朝日新聞はいったい何がしたかったのか。

正しさなんてどうでも良い、自らの主張を通せれば何をやっても良い、という姿勢か。

引用

8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える(上)」で、朝日新聞社は、韓国・済州島で女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽だと判断し、吉田氏に関する記事を取り消しました。初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事として、「執筆した大阪社会部の記者(66)は『講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった』と話す」と記しました。しかし、その後、この元記者は当該記事の執筆者ではないことがわかりました。おわびして訂正します。

 元記者は社内の取材班の調査に対し、当該記事を含めて吉田氏に関する記事を数本書いたと認めていました。しかし、元記者がその後、海外への渡航記録を調べたところ、大阪市内で講演のあった82年9月1日時点で国内にいなかったことが判明し、記憶違いであることが確認されました。その後の吉田氏に関する記事は実際に書いていました。

 特集記事の掲載後、当時の大阪社会部にいた別の元記者が「吉田氏の記事を書いたことが1度だけある。初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出ています。

 初報が掲載された経緯については近く設置する第三者委員会の調査結果を踏まえて紙面でご説明します。(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11375306.html

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