元朝日新聞記者で慰安婦記事の清田治史 帝塚山学院大学を退職 慰安婦記事の記者訂正の理由が判明

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清田治史画像
(グーグル画像検索より)

1982年9月2日付けの記事で、吉田証言について始めて記事にしたと報道されていた元朝日新聞記者の清田治史帝塚山学院大学を退職していたことがわかった。

帝塚山学院大学には9月13日に、「元朝日新聞記者の教授を辞めさせなければ、くぎを入れた爆弾を爆発させる」と記載された脅迫状が届いていた。

さらに、脅迫状の中には慰安婦問題に関する虚偽証言をはじめに記事にしたことを批判していたという。

この脅迫状を見て清田治史は自ら申し出て退職したとのこと。

慰安婦記事の記者訂正の理由が判明

朝日新聞はその後清田治史がはじめに記事にしたということを撤回している。

9月29日の記事「従軍慰安婦記事 記事の捏造のみならず記者も捏造

つまり時系列で考えると

1.朝日新聞は、清田治史がはじめに記事を書いたことにした。
2.清田治史に実害が生じた。
3.清田治史が朝日新聞に相談した。
4.朝日新聞は別の記者であったことを発表した。

となる。

朝日新聞はなぜ突然別の記者であったと発表したのか不思議だったが、このような事実があった。

引用

帝塚山学院大学(大阪府大阪狭山市)に13日、元朝日新聞記者の教授が過去に慰安婦関連の記事を執筆したことを批判し、「辞めさせなければ、くぎを入れたガス爆弾を爆発させる」などする脅迫文が届いていたことが30日、同大や府警への取材で分かった。教授は13日に辞職した。府警が威力業務妨害容疑で捜査している。(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014093000259

TBSnews-i

清田治史について

1947年9月27日生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業。

1971年に朝日新聞社に入社し、1982年から慰安婦問題について数多くの記事を執筆している。

その後2008年に取締役となる。

直近には帝塚山学院大学人間科学部教授となっていた。

慰安婦捏造の第一人者として話題になっていたが、9月29日に急きょ別の記者であったと朝日新聞社が発表した。

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