金子市議のアイヌ発言 自民会派が対応一転 山下智恵記者

概要

「アイヌ民族はもういない」と金子快之(やすゆき)・札幌市議(43)がインターネットの短文投稿サイト「ツイッター」に書き込んだ問題で、同市議会の所属会派「自民党・市民会議」の役員会は23日、会合を開き、金子市議に発言の撤回と謝罪を促すことを決めた。

 書き込みをめぐり、同会派は金子市議から事情を聴いたが、「アイヌに対する見解はさまざま」として問題はないとの方針を示していた。

 しかし、市議会の主要4会派が22日、発言の撤回と謝罪を求める要望書を金子市議などに送り、アイヌ民族などでつくる団体も発言を批判する公開質問状を提出した。また会派内からも発言を疑問視する声が上がり、一転して対応を改めた。一両日中に金子市議に伝え、受け入れない場合は議員総会などを開いて処分を検討するという。

 同会派の幹部は「金子市議はアイヌへの補助制度や利権について批判しているが、制度への批判と『民族がいない』と言うのは話が違う。明らかな誤りで、個人的見解では済まされないという結論に達した」と話した。(毎日新聞より)

自民党・市民会議会派村山秀哉幹事長の立場は?

8月19日に、自民党・市民会議会派村山秀哉幹事長は「アイヌ民族についての見解は議員それぞれだ」と言っている。

この対応は、金子市議のツイート全文

「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません。」

を考慮しての対応だったかと思うが、

今回の「金子市議に発言の撤回と謝罪を促すこと」の決定は「「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね」に比重を置いている気がする。

いまさら金子市議の発言を問題というのであれば、村山秀哉幹事長は金子市議の発言に問題を感じていなかったのだから、問題に感じないこと自体も問題な気がする。

問題の本質を明確にした方が良い

今回発言しているのは別の幹部のようだが、

「『民族がいない』と言うのは話が違う。明らかな誤りで」

とあるが、微妙な言い方だ。

誤りというからには何が正しいのか示す必要がある。

日本政府はまだ「アイヌ民族の定義」をしていない。

アイヌ民族とはどのような人を指すのか明確ではない以上、アイヌ民族はいない、という発言が正しいのか誤りなのか判別不能ではないか?

この発言に関しては「誤り」が問題なのではなく、差別なのが問題だ。

そこをはっきりさせた方が良い気がする。

「アイヌ民族はいない」が差別にあたるのは、金子市議が調べた2005年版の「世界大百科事典」の2007年の改訂の件で出始めた論調である。

世界大百科事典の改訂について

2005年版の「世界大百科事典」

「今これらの人々は一口にアイヌと呼ばれているが、その大部分は日本人との混血によって本来の人種的特質を希薄にし、さらに明治以来の同化政策の効果もあって、急速に同化の一途をたどり、今はその固有の文化を失って、物心ともに一般の日本人と少しも変わることがない生活を営むまでにいたっている。したがって、民族としてのアイヌは既に滅びたといってよく、厳密にいうならば、彼らは、もはやアイヌではなく、せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」
(引用:世界大百科事典第二版1-34ページ、平凡社)

この内容について、「アイヌ民族に対する偏見や差別を助長しかねない」と一部から批判が起こり、2007年に改訂された。

つまり、アイヌ民族が既に滅びたかどうかについて事実関係はどうでも良く、差別を助長するから改訂したことになる。

差別について

もちろん差別と感じる人がいるのであれば、それは尊重し発言に気を付けるべきでしょう。

「アイヌ民族はいない」とだけ言うのは差別発言であることは理解できる。

しかし、いまいち理解できていないが、アイヌの人々は、アイヌ系日本人と呼ばれることは差別だと感じるのだろうか?

どうも、「アイヌ民族はいない」だけにフォーカスを当てて差別だと言っているように聞こえる。

「過去に存在していた純血のアイヌの確認は難しいが、日本人と混血したアイヌ系日本人がいる。これらのアイヌ系日本人がアイヌ民族の誇りを持ち、帰属意識を高め、かつてのアイヌ文化の復興を担っていく。」

ではダメなのだろうか?

最後に

この問題は毎日新聞の山下智恵記者が最後まで追いかけるようだ。

金子市議は議員の立場を守りたいと思うので、今回の発言の撤回と謝罪でとりあえず収束しそうかな。

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